福井城址、復元された福の井、山里口御門

食事を済ませた後、続いて福井城の場所に向かいます。

福井城は北ノ庄城から少し離れた位置にあります。城としての敷地は重複している部分もありますが、城址としての位置は異なった位置として現在に伝えられています。

北ノ庄城は現在の柴田神社がある場所、福井城は福井県庁がある場所です。

福井城は立派な石垣や堀が残っていますので、こちらの方がどちらかというと世間一般の城のイメージに近いと思います。

道路を超えた先が福井城址。

御本城橋を渡っていきます。

堀。水と緑が調和していて魅力的です。

そして敷地内に。この辺りに御門と呼ばれる正門がありました。

そして、敷地内には結城秀康公の像。徳川家康の次男で、34歳という若さでお亡くなりになっています。人物としてもすぐれており、この福井城がある越前に移動してきて過ごしたことから、ここに像が飾られていると思われます。

越前の大名となった後には城の建築や城下町の大改造を行い、現在の福井の原形を造り上げたと言われています。

石垣に上る段差。ただし、この段差を用いて上に上ることは禁止されています。

別途階段が用意されており、こちらから石垣の上に上ることが可能。

この石垣の上は散策路となっています。

周りの景色を楽しみつつ、歩きます。とはいえ、歩ける範囲は限定的。

石垣の上から見た堀。

散策路の行き止まり。1分も歩けば行き止まりになります。

石垣内にある建物。ここには福井県県庁の他、議事堂、警察本部が建っており、残念ながら天守などはありません。

回り込んで、天守跡がある反対側まで移動。

階段も用意されています。見たところ、かなり新しい階段です。

その付近から見た周囲の景色。堀の水が透けていて、底の一部も見えています。

福の井。井戸です。築城当時からこの場所に井戸があり、特別視されていたようです。この福の井から、福井という名前が出来たとも言われています。

とはいえ、実際は北ノ庄の北という文字が「敗北」の北と掛かっているため、縁起が悪いということで「福居」に変更され、その後、「福井」となったようです。

この井戸自体は、2017年に再整備され、今現在の姿となっています。そのため、訪れた2018年の段階で見た目が新しくなっています。

その一つ前の井戸は、1948年の福井地震で崩れた際に大きく作り替えたものだったそうなので、より昔に直した形で現在整備されています。

天守閣と福の井。この石垣に天守があったとのこと。

1948年の福井地震によって、崩落の跡などもあるようです。

天守台の上は整備されています。

礎石なども。この上に天守が建っていました。

天守台から見た周囲の様子。

堀の中。中央が福井県庁、奥が福井議事堂、右側が警察本部。

階段を下りていきます。昔からある階段もあります。

そして、少し歩いて山里口御門。

こちらも新たに作られたもので、2017年に復元されたものです。ちょうどこの日もスタッフが中にいて、何やら話し合っていました。なので、中をゆっくり見ることはできず。

枡形門になっています。要は、四角形の空間に門があるという形。二つくらい門があり、たいていは直線亭ではなく、直角に門があり、敵からの進行をしにくくしています。

続いて御廊下橋。この通りは、藩主が本丸と三ノ丸御座所の往復に用いた藩主専用の橋とのこと。

こちらは2008年に復元されたものです。徐々に福井城が昔の姿を取り戻している姿が見て取れて、面白いものがあります。

鳩。

鴨。

鯉。

そして、少し離れた位置から見た福井城址。

入ってきたときの御本城橋を別角度から見た様子。

これで福井城址を見終えました。

この後は福井駅に戻って次の目的地に向かいます。

福井駅周辺には食事処も多く、大型の商業施設の他、駅のホーム下などにも食事処があります。

別の場所で食べたソースかつ丼とおそばのセットなども提供しているところもあるので、遠くまで行くのが億劫であれば、これらの場所を利用するのも良いでしょう。

福井城 福井県 一人旅の旅行記

2018年6月上旬の平日に、福井県の福井城へ一人旅に出かけた際の旅行記です。

  1. 福井城 福井県 一人旅
  2. 北ノ庄城、柴田神社、柴田勝家の居城址へ
  3. ソースカツ丼とおろしそばの福井名物を堪能
  4. 福井城址、復元された福の井、山里口御門
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