華厳宗大本山東大寺。華厳宗は「けごんしゅう」と読みます。宗派の一つ。
鹿が大量に寝そべっています。まだ鹿としても朝早いのでしょう。
東大寺の南大門。
大華厳寺の扁額。
木組みも下から覗けます。
この南大門は1203年に完成したもので、その後も戦国時代の大仏殿焼失などの影響もなく、今現在まで残っているとされています。解体修理等はされています。
そして左右に立ち並ぶ有名な金剛力士像。この金剛力士像は南大門と同じく1203年に造立されています。
阿形。
吽形。
そしてさらに抜けて中門へ。
中門には持国天と兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)の仏像があります。兜跋毘沙門天は多聞天とも表わされることがあります。
注文からは中に入れず。左に曲がり、大仏殿入堂口に向かいます。
7時30分からと朝早くから開いているため、さっそく中へ。
東大寺の大仏殿に入ります。7時30分から開いていました。
思った以上に人が少なく、奈良はあまり観光客が来ないのか、と思ったくらい。
大仏殿単体で600円。近くにある東大寺ミュージアムセット券とは1000円。セット券を購入。
そして、さっそく中に入り、大仏殿、金堂の前に。
この人がいない大仏殿を前に期待が高まります。朝早く来た甲斐がありました。
右側。奥には回廊が見えますが、歩くことはできません。
そして、大仏殿の下まで到着。
手前側には金銅八角灯籠があります。746年からあり続けてはいいるものの、補修は随時行われ、修理した形跡が多々あるとのこと。
手水舎。
大仏殿正面の上部。上の方の扉は開くことができ、その場所から遠くからでも大仏の顔が見られるようになっています。
そして中に入り、東大寺の大仏「廬舎那仏(るしゃなぶつ)」とお目見え。座っているので廬舎那仏坐像と呼ばれます。
廬舎那仏は華厳経の教主です。釈迦如来の別名で、世界を照らす仏、ひかり輝く仏の意味。
747年から作り始め、749年に鋳造が完成。752年に厳修されたとのこと。
だが、その後、この大仏殿は大地震や千かによってたびたび被害を受けています。
さまざまな角度から大仏を眺めます。
大仏殿の上部。
大仏殿から見た手前側のエリア。
大仏さまのいる蓮台の周りの蓮弁には同じ絵柄の絵が描かれています。
銅鑼。
鴟尾(しび)。東大寺大仏殿の建物上部の左右についています。城の鯱のようなものと考えれば位置などもわかりやすいと思います。展示されているものは明治時代に製作されたもので、昭和の修理の際に降ろされて展示されています。
虚空蔵菩薩。廬舎那仏の左側に鎮座しています。
線香。
上に登る階段。使用不可です。
広目天。
創建当時の伽藍の様子を50分の1に縮小して復元した物。左右に塔が立ち並んでいます。
大仏殿の模型。鎌倉期再建時の模型。
上の方の扉を開くと、大仏様の顔を拝むことできます。
こちらは江戸期再建時の模型。
廬舎那仏の後ろ側。
柱くぐりというものがあります。普段は混雑するそうです。本当にくぐれるかどうかは不明です。
多聞天。
灯籠。
瓦。
誰かしらが柱に傷をつけたものも見て取れます。
如意輪観音。
廬舎那仏の右側に鎮座しています。
廬舎那仏の後ろの光背には小さな仏像「化仏」(けぶつ)が付いています。
お守りなどを販売している売店もあります。
以上で大仏殿の中を見終え、外に。
大仏殿の外には「賓頭盧尊者」(びんずるそんじゃ)があります。江戸時代の木造の像です。
病人が症状の出ている場所と同じところをなでると良くなるという話から、「なで仏」とも言われています。
かなり傷んでいるのか、それとも接ぎ木だからか、少々見た目が怖い感じもします。
東大寺大仏殿の外から見た上部。
こうした木組みを見るだけでもすごさと歴史を感じさせます。
少し離れた位置から見た大仏殿の扉。中央の扉が開けば、遠くからでも廬舎那仏の顔が見えることになります。
他、いくつか周囲を見て回ります。
八咫烏と思わしきものが描かれた幕。
台を支える像。
そして改めて大仏殿側。
別角度から大仏殿。この角度からなら、上にある鴟尾もよく見えます。
回廊。だけれども、歩くことはできません。
一通り大仏殿を見終え、次の場所に向かいます。
朝早かったこともあり、人はほとんどおらず。
最初、奈良には観光客が少ないのか、と思ってしまいましたが、時間が経つにつれ、外国人観光客や修学旅行等の団体客が増えてくるので、ゆっくりと大仏殿と廬舎那仏を見たい人は朝早くに訪れることをお薦めします。
東大寺 興福寺 世界遺産 奈良県 一人旅の旅行記
2019年6月下旬の平日に、奈良県の東大寺と興福寺へ3泊4日の一人旅に出かけた際の旅行記です。その2日目。